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「私の好きな中国映画」作文コンクール記念賞佳作抜粋(二)
2022-09-27 12:40

家族の絆とは目には見えないけれど国の内外、年齢、性別など問わず一緒に過ごすうちに自然と紡がれていき、切っても切れないものになるのではないかと思う。友情もしかり、国と国の交流もしかり、人と人が地道に努力し信頼し積み重ね築き上げていくもの。

戦争とは勝っても負けても誰も幸せにならず、みんなが不幸になる。

日中国交正常化50周年の今年、この映画を観たことで私の考えは今までと大きく変わり知ることの大切さを痛感した。戦争そのものは知らないけれど、何歳になっても目を背けることなく、知る努力と学ぶ努力は怠ってはいけないと思う。不幸な出来事に振り回され乗り越え手を携えて50年、時には浮き沈みがあるとしてもこの先の50年、さらにその先も知恵を出し合い強く手を繋いでいたい。心と心は必ず通じるものだと思う。

期待した結末ではなかったけれど、相手を敬い優しく思いやることの大切さをひしひしと感じながら、ラストの曲にやるせなさをよりかき立てられた。

ーー西克子 『「私の好きな中国映画」再会の奈良』


肝いりの3つ冠(golden award)を頂いた日中合作映画を見た。題名の再会の期待を覆す最後のシーンに驚き、どこかでまどろんで、見損なったと思い、レジメを読み返し、日を改めメモを取りながら、またネットで「中国残留孤児問題」などを読みながら3度見たことになる。

(中略)これぞ、麗華に降りかかった地獄絵そのもの、麗華の耳にも当然入ったであろう。帰国後6年後に「親戚が見つかったので奈良を出る。落ち着いたらおかあさんに来てくれるようにと、安心させる手紙を書いたのでしょう。2005年に陳ばあさんと孫娘役のシャオザーを乗せた元警察の吉沢の運転する車の中に、麗華探しに疲れて眠る陳ばあさんをかばうように吉沢の上司高倉から電話が入る「麗華は相当以前に亡くなっていた」何とも言えない雰囲気のなかで、「再会できなかった奈良」となった大いなる余韻を残したラストシーンとなった。

ーー松本武城『日中合映画「再会の奈良」』


私が日中友好協会に関わって約十年。はじめは留学生のホームステイ支援からでしたが、これと言って積極的な活動はしていませんでした。それが変化してきたのは、中国残留孤児の方々と日本語教室を通じての交流が始まってからです。満蒙開拓団、中国残留孤児、関わらなければ知らないことでした。顔は日本人なのに日本語がおかしい、というのが最初の印象でした。帰国者の方と呼ばれ仲間内で話す言葉は中国語でした。日本語の学習をしていても、何か違和感がありました。日本の唱歌も知らないし、日本の習慣も何だかしっくり来ていない感じで、どう接すればいいのか戸惑いました。でも次第に、過去の経験を話して頂けるようになり、想像を絶する内容に言葉をなくすことも度々でした。子供の時、終戦間際に家族で満州にわたり、故郷から送った荷物も届かないうちに敗戦を迎えた。母親が病気で亡くなり、父親は自分の目の前でのどを切られて死んだ。周りを見渡せば、井戸の中には死体がいっぱいあり、トウモロコシ畑の中では、兵隊さんが死んでいた。兄弟はそれぞれバラバラに中国家庭にもらわれていった。兄弟が会うことも許されず、日本語を話すことも許されない。ただただ働き手として冷たい水で家事をし、学校でも日本鬼子といじめられた。など、いつ終わるとも知れない過酷な体験を、会うたび聞いていました。帰国者の方々の体験はそれぞれ違うとはいえ、決して恵まれた環境ではなかったことは一致しています。日本に帰ってきてよかったかと伺ったことがあります。「日本は冷たい。帰ってきて住んだ所はドアを閉めると自分だけ、閉じ込められたように感じた。言葉もわからないし、どうしようかと思った。中国では近所の人とにぎやかに楽しく話したり、何でも協力して楽しかった。自分で工夫して色々なものを作ったり、ちょっとした病気は自分たちで考えて治していた。日本はなんでもお金、すぐに病院、ちょっと変やわ」。と話されました。戦争で、日本に2度捨てられたと感じる帰国者の声は、私たちが忘れてはいけないことではないでしょうか。

今回『再会の奈良』を見たことは、今やっていることを、真摯に続けていきなさいというメッセージだと思います。帰国者の方々は年を重ねていきます。日本語も不十分、中国語も忘れていく、そんな切ない状況を、私たちは知らなければなりません。戦争は過去の話、日本人も加害者、そう言えばもうきりがありません。くしくも本年は日中国交正常化50周年の節目の年です。我香川県の故大平正芳氏が当時の首相田中角栄氏らとともに命がけで成し遂げた偉業。今のこの平和が、どんなことの上に成り立っているのか、我々は真剣に考える機会でもあります。中国残留孤児は、戦争においての悲劇以外の何ものでもありません。もし自分がその立場だったら。親を目の前で殺され、極寒の中、周りの人は死んでいく絶望の中にあったら。今、コロナ感染が多くの人を苦しめ、世界に不安を広げています。しかし、どんな状況でも生きていくという人間の強さ、したたかさを示していることも事実です。これからも、帰国者の方々と静かに語り合い、生き様を知り、香川県日中友好協会の活動を通じてこの真実を知って頂くような活動をしっかり続けていきたいと思います。

ーー内海 美貴子『私の好きになった中国映画』

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