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羅田廣総領事がラサで発生した暴力犯罪事件について記者の質問に回答
2008-04-11 00:00

    問:チベットの帰属問題と歴史的な変遷を紹介してください。

 

    答: 紀元前からチベット族の先人は内地の漢民族と連絡を取っていた。7世紀の唐の時代、チベット族と漢族は王室の間で姻戚関係、盟約を結んで、政治的に団結友好の姻戚関係を形成し、経済と文化の上でも密接な関係を築いた。

    13世紀の中ごろ、チベット地域を正式に元の版図に組み入れた。元の皇帝は宣政院を設置し、チベット地域の軍政両面の要務を直接管理させた。その後、中国の中央政権は何度も変わったが、チベットはずっとそのまま中央政府の管轄下に置かれていた。

    1653年と1713年、清王朝の皇帝はそれぞれに第5世ダライ・ラマと第5世パンチェン・ラマを冊封した。これがダライ・ラマとバンチェン・エルデニという名の由来であり、両者のチベットでの宗教と政治の地位が確立された。

    1911年に成立した中華民国は漢族・満州族・モンゴル族・回族・チベット族など多民族によって構成される共和国だと宣言した。1912年3月、中華民国南京臨時参議院は更に民国初めての憲法である「中華民国臨時約法」の中に、チベットは中華民国の不可分の一部であり、中央政府は元・明・清の三王朝と同じく、チベットに対する管轄を実施すると明確に規定した。ダライ・ラマとバンチェン・エルデニも引き続き中央政府からの冊封を受け、祖国の統一と中央政府を擁護する態度を幾度も表明した。

    1949年、中華人民共和国が成立した。1951年5月23日、中央人民政府とチベット地方政府の代表は、チベットの平和解放に関する一連の問題について合意に達し、「チベット平和解放の方法に関する中央人民政府とチベット地方政府の取り決め」(「十七条取り決め」)が調印された。1954年、ダライ・ラマとバンチェン・エルデニは共に北京に赴いて中華人民共和国第1回全国人民代表大会に参加し、この会議でダライ・ラマは全人代常務委員会副委員長に、バンチェン・エルデニは同常務委員会委員に選出された。1959年3月、チベット地方政府の多数のガロンと上層部の反動グループは祖国を分裂・封建的農奴制度を擁護・民主改革に反対の叛乱を行った。このため、周恩来元総理はチベット地方政府を解散する命令を下達し、その権力をチベット自治区準備委員会に委ねたのである。1965年9月、チベット自治区が正式に成立した。

 

    問:チベットの民族自治、社会発展及び宗教の自由等の人権状況を教えてください。

 

    答:1959年前までのチベットは、長い間、政教合一、僧侶と貴族が統治した封建奴隷制社会であった。チベット総人口の95%を占める農奴や奴隷は、人身自由がなく、強制労働を強いられるだけでなく、農奴主の個人財産として売買、譲渡、交換、債務返済に使われ、人間としての基本権利は剥奪されていた。1959年、チベットの民主改革が実行され、政教合一の封建奴隷制社会に終止符が打たれ、総人口の95%を占める百万の農奴や奴隷は人間としての権利を初めて獲得した。 

    50年来、チベットは見違えるほど変貌し、経済社会は速いスピードで進展し、交通、エネルギー、通信等のインフラ整備は一段と進み、人民の生活は著しく向上した。

    今、チベットの経済は12%の伸び率で成長し、農牧民の一人当たりの収入も前年比17%増加した。区内には1000箇所の学校があり、在校生も50万人を超えた。ここ数十年来、チベットでは大学卒業生2万余人、短大生2.3万余人が育成されたほか、数多くのチベット族の博士、修士、科学者、エンジニア、教授、名医師、文学芸術家等の専門人材を有している。

    また、1378箇所の衛生医療機構があり、区内すべての農牧区では医療費免除を基本とする農牧区医療システムが実行されている。新生児の死亡率は1959年前までの43%から3.1%に低下し、平均寿命は20世紀半ばの35.5歳から現在の67歳まで上昇した。チベットは今や中国で百歳の老人が最も多い省区の一つとなっている。

    区内のラジオ、テレビの受信カバー率はそれぞれ85.5%と86.9%である。民族文化は大事に保護され、毎年出版されるチベット文の書物は数十種類あり、発行数は数十万冊に達している。チベットには宗教活動場所が1780箇所あり、僧尼数は4.6万人を有している。民衆の宗教信仰に対する要求は十分に満たされ、信仰の自由も十分に尊重されている。

    ご周知の通り、ここ数年来、チベットは大きく発展し、社会も安定し、人民の生活レベルも向上し、人権面でも新たに進展していることは事実である。

 

    問:ダライ分裂グループが再三表明しているいわゆる「チベット独立」を放棄し、ただ「高度の自治」だけを求めるとの真相は?

 

    答:近年来、ダライは独立は求めず、「高度の自治」だけを求めると言っている。この「高度の自治」の要点は1、チベットは歴史上中国の一部分であることを承認せず、チベットは中国に占領された国家である。2、チベット現行の社会制度を承認せず、別の制度を作る。3、中国国土の四分の一近く占める、歴史上一度も存在したことのない「大チベット区」の建立を堅持する。4、中国に「大チベット区」からの軍の撤退を要求する。5、すべての非チベット民族の住民を「大チベット区」から転出。

    ダライ・ラマなどの一部の人々は「チベット」と「大チベット区」との二つの概念を混こうし、「チベット区」を一つの政治実体として取り上げており、一部の外国人が中国のチベット族の分布の歴史をあまり知らないことを利用して、祖国を分裂させ、いわゆる「大チベット区」の設立を世論に呼びかけ、最終的にはチベットの独立を企ている。

 
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