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『私から見る中国』作文コンクール入賞作品抜粋(その二)
2021-07-22 12:17

一等賞(1名)

中国の友へ

山橋宏和

 1978年8月12日、日中平和友好条約が締結されました。1972年に日中国交回復、ピンポン外交、パンダの来日と、1970年代は日中友好ブームに包まれていた時代でした。一方でベトナム戦争は激しさを増し、ベトナム人民の側に立つ中国の政治姿勢は平和を願う世界中の人々から支持されていました。私が高校3年生の時、倫理社会という科目の提出論文では毛沢東をテーマにしました。私もそのころから中国が大好きでした。私の25歳の誕生日に日中平和友好条約が結ばれた時には、運命的なものを感じました。

 私の日中友好人生が始まったのは中国帰還者連絡会の方の話をきいてからです。

 1976年9月9日、毛沢東主席が逝去されました。私が日中友好運動にかかわり始めたころです。9月18日に柳条湖事件を記念する集会を準備していましたが、毛主席逝去の報を聞いて急きょ、その集会を毛沢東主席追悼集会に切り替えました。京都大学の時計台がある建物の階段教室、立錐の地もない超満員の会場。張り詰めた空気。

 メインの講演は中国帰還者連絡会の塚越正夫さんの話でした。「自分は中国の何の罪もない人たちを何百人も殺した鬼です。」そうした自分たちが撫順戦犯管理所で受けた人道的な扱い、家族を日本軍に殺された青年が、自分たちの世話をしてくれながら戦犯たちに人間の魂を呼び覚ましてくれた数々のエピソード、死刑になって当然の自分たちが裁判の判決で、「この者達も悔いている、もし彼らを日本へ返せば、きっと日中友好のために働いてくれるだろう」と許してもらったこと。「今、自分が処刑されずに生きて帰してもらい、みなさんの前で話ができるのは、毛沢東思想のおかげです」という叫びにも似た言葉は、今も私の脳裏に刻まれています。日本軍国主義が八億中国人民と毛沢東思想によって完膚なきまでに打倒されたのだという現実が、目の前にありました。

 「一握りの軍国主義者と広範な日本人民は区別しなければならない」という中国共産党の方針は、ただ単に日本の戦犯が命を助けてもらったという話ではなく、世界平和を築いていく上での大方向を示しています。

 今中国は「多国間主義」ということを言っています。中国の主張は、大きな国も小さな国も、強い国も弱い国も、すべて対等で平等で、お互いに助け合い協力し合って、みんなで人類の幸せを実現しようということです。

 私のまわりでは、自分達の価値観に合わない国に対しては「制裁しろ」という声が上がります。最近ではたとえばミャンマーに対して。しかし直近でも、イラクにしろリビアにしろ「制裁」は「征伐」へとエスカレートしました。選挙で選ばれた大統領が、米軍によって「制裁」され、捕らえられ、殺されました。そうした国ではいまだに無政府状態が続き、人民は塗炭の苦しみの中にあります。

 中国は歴史上、他国による「制裁」が侵略の口実であることを知り尽くしています。問題の解決は、平和的な話し合いによる解決しかありません。周囲にできることは、当事者が話し合いのテーブルにつくよう促すことでしょう。中国はその立場を堅持しています。

 習近平さんは「一帯一路」「人類運命共同体」「多国間主義」「中国の夢」ということを言っておられます。私はこの構想に大賛成です。

 中国にしろ日本にしろ、千年二千年という長い歴史を持つ国は、統一国家に至るまでには必ず戦争に明け暮れた時代を経験しています。北京と天津が、東京と大阪が、何万という軍隊をくりだして殺し合いをしていた時代があります。なぜそういう時代が終わり統一国家へと進んだのでしょう。それは、文明の発展の中で、共通のインフラが形成されてきたからです。今の時代に東京と大阪が戦争をするということは右手で左手を打つのと同じです。中国にしろ日本にしろ国内で戦争などできるはずがありません。これは、「世界」に応用することができます。「一帯一路」は、「多国間主義」の原則のもと「人類共通のインフラ」を作る事業だと思います。この大事業は、世界平和を実現する事業でもあります。「国家は独立を求め、民族は解放を求め、人民は革命を求める」、そして今、その上にもう一つ、新しいフレイズが加わりました。「世界は人類運命共同体を求める」です。

 「中国の夢」という言葉を聞くと、ある人は「中華思想の再来だ。朝貢するのは嫌だ。」と言います。いまだに「大東亜共栄圏」の夢を追っている人にはそのように映るのでしょうか?しかし私には、「中国の夢」は「日本の夢」でもあると思います。「世界中の国と人々の夢」でもあります。すべての国と人々が、自分達で自分達の運命を決めることができる権利を享受し、有無相通じ、平等、平和、繁栄の世界を共に築くこと、相互に意見の違いを認め合い、話し合いで問題解決すること。そんな社会の実現は、「私の夢」でもあります。

 日本でもコロナが終わったら40年ぶりに中国を訪問したいと思っています。

 
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